父の日か

生きていたら貴方はいくつなんだろう。


また朝の6時30分には家を出て、車で会社に行ってたら、どんなに嬉しかったかな。

いろんな所に連れていってもらったね。
朝早くから起こされてディズニーランドに行ったり、川遊びとかスキーしに日光行ったり、車で片道8時間かけて大阪へ、USJにも連れていってもらった。
その度に家族写真を撮って、カレンダーにしたり年賀状にしたり。


家に帰ったら母と2人でPS2太鼓の達人やってたりして、驚きながらも嬉しかった。新しいゲーム、嬉しかったなあ。


家族みんなで同じ部屋で並べて布団を敷いて一緒に寝ていたのはいつ迄だったかな。

「まなの足は冷たいね、氷足だ。」
隣で寝てる私の足に触れて笑いながら温めてくれたよね。

深夜遅くに酔って帰ってきては、母と私を起こして、「お土産買ってきたよ。」って。
コンビニのスイーツかアイスとか、おでんも買ってきた時あったよね。母が呆れていたのを思い出す。


私が深夜まで起きていれば、喜んで絡んで来てたね。母は誰か起きててくれて嬉しいんだよって言ってたけど、酔っ払いは好きじゃなかったなあ。


金曜ロードショーとか、日曜洋画劇場とかDVDで沢山映画も見たね。

10歳とか小学校4年生位の時。


映画を見ていた夜遅くにお父さんはお酒で少し酔いながら、その時、貴方は覚えてないかもしれないけれど、「大人になったら一緒にお酒を飲みたいなあ。」って言ってたの、私は覚えてるんだよ。


ずっと、覚えてたんだよ。
お酒、一緒に飲みたかったんだよ。




何で死んじゃったの。

まだ何にもしてあげられてなかったのに、全部これからだったのに。
何で死んじゃうんだよ、お父さん。

貴方をお家で看取ったこと。
家族みんなでベットの周りで、まだ大丈夫だから、ちゃんと息して、ほら出来るよ一緒にやろうって。
妹と弟が涙を流す中、母と私はそうしてた。
下が泣いてるのに泣けないと思って、笑って元気づけながら。
息を吸わないと、吸ってもらわないとだめだって。
諦めちゃダメだって。

痩せ細った体に触れながら、大丈夫、大丈夫って。
貴方は呼吸しようとしてたでしょう。

そんな中での最期でも、貴方は笑ってた気がした。

ダメだと分かると、みんな1人ずつ父を抱きしめた。
数秒間だったけど、最後に。久しぶりに父に包まれて、包んで。
最後は皆に看取られて、逝ってしまったね。



先日七回忌を終えた。
頑張れって、言われて、お葬式の時を思い出す。
父の仕事の関係者とか兄弟とか、400人近い方が参列してくれた。

「みんな頑張ってね。お父さんは本当にいい人だった。」
「しっかりお母さんを支えるんだよ。」
「家族みんなで、頑張ってね。」

頑張れ頑張れって。
どう頑張ればいいんだよ。

誰も助けてくれないのかよ。


言うだけ言って、なんだよそれ。




私の知り合いは、誰も呼ばなかった。
友達は居たけど、呼ばなかった。
申し訳なくて、悲しい場所に来て欲しくなかった。
きっと困らせてしまうだろうし。

妹や弟は呼んでいたみたいだった。
友達に囲まれて泣いていたから。


だから父を知っていた友達は、亡くなったと私から聞いて驚いていた。お線香、あげに来てくれてありがとう。嬉しかったなあ。



誰よりも父自身が、自分が亡くなってしまったのを悔やんでるとか、そう言うのはもう何度も聞かされた。
そりゃあそうだろう。
じゃなきゃ10歳の私にあんな事は言わない。
10年も前から、そんな事言わないよ。
分かってるよ。




お父さん、幸せだった?
何にもしてあげられなかったけど、私と、私達と居て楽しかった?
今でも、少し思い出すのが辛いです。
これを書いている今も、途中から涙が出てしまって今も止まりません。
一緒にお酒を飲んで、思い出話とか笑い声とか沢山聞きたかったです。

情けないけど、あなたが居ないのが寂しいです。

情けないけど、貴方に会いたいです。